世間では夢や目標を持つことがさも良いことであるかのように語られる風潮がありますよね。
そのせいで、夢や目標のない人は向上心がない・生きている意味がないという風に否定的に語られることもあります。
しかし、それはある種の固定概念や社会による洗脳であり、実際はそのようなことはないです。
逆に、夢や目標は人を不幸にすることさえあります。
夢や目標は所詮個人の欲望に過ぎない
そもそも夢や目標とはどんなものでしょうか。
プロのミュージシャンになって武道館ライブするのが俺の夢!
YouTubeのチャンネル登録者10万人が私の目標!
こんな感じのイメージですよね。
でもよく考えてください。
これってその人の欲望でしかないんですよ。
仏教では、欲があるから人は苦しむのだと考えられています。
人が何かを欲すると、それと同時に欲が満たされない渇望状態に陥ります。
それは空腹や睡眠不足と同じように、人間にとっては苦しく耐え難いことです。
例えば、子どもが欲しいと考える夫婦がいたとします。
しかし、何年経っても子どもができない。これは辛くて苦しいですよね。
初めから子どもが欲しいなんて思わなければ、子どもができなくて辛いという感情を抱かずに済んだはずです。
夢や目標に執着すると手段を選ばなくなる
「夢や目標があるから頑張れるんだ!」とこういう考えの人もいると思います。
しかし、夢や目標に向かって努力したとしても、その努力が必ず報われるとは限りません。
報われなくても頑張る過程が大事だと思える人なら良いですが、多くの人は結果を求めてしまいます。
あるいは、他人に期待され、求められている状態にあります。
そして、いつまでも夢や目標が達成できない状態が続くと、人は手段を選ばなくなります。
例えば、
- テストの点数を上げるためにカンニングをする
- スポーツ大会でドーピングする
- 営業ノルマを達成するために同僚の顧客を奪い取る
- 他人の作品をパクる
など。
これらはまだ個人的な小規模の不正ですが、組織ぐるみになると少し前に話題になったビッグモーターのようなことにもなります。
ASDは夢や目標を持つのが苦手
特に私のようなASD患者はこだわり行動があるため、1度目標を決めてしまうとそれに行動や思考を縛られてしまうことが多いです。
そして、今日も達成できなかった、このペースだとたぶん明日も達成できないな…と、どんどん追い詰められて気が滅入ってしまうんですよね。
また、ASDの特性として見通しを立てるのが苦手というのもあり、そもそも目標設定自体がうまくできていないこともあります。
たとえば、分不相応に壮大な夢や目標を作ってしまい、達成までのプロセスもうまく組み立てられず、実行に移せない自分を無意味に責めてしまうなど…。
このような特性のある人は、夢や目標なんて持たずに目の前のことだけに注力して生きている方が精神的に安定します。
夢や目標なんて無くても人は幸せになれる!
3日だけ入社していた会社で3KMを書かされたと以前の記事に書きました。
あれを推している人の考えとしては、小さな目標をたくさん設定して、それを叶えることでどんどん幸せになろう!ということらしいです。
つまり、目標の達成が幸せになる手段だということですが、では目標のない人や努力しても目標を達成できない人は不幸になるしかないのでしょうか?
そんなことはないと思います。
夢や目標がなくても幸せに生きるコツは、「当たり前のこと」に感謝することです。
感謝すべき当たり前のことというのは、例えば、
- 住む場所があること
- 食べ物に困らないこと
- 自分の足で歩けること
- スマホやPCで情報収集や他人との交流ができること
など、日常生活の中にあふれています。
気分が落ち込むとどうしても恵まれていなこと・不幸なことばかりに目がいってしまいますが、私たちは生きているだけでさまざまな恩恵を社会から受けています。
それだけでも本来は十分感謝すべき幸せなことだと思うんですよね。
より幸福度を上げたいと考えるのは人間としての本能かもしれませんが、幸せを求めて欲深くなればなるほど逆に不幸に近付いてしまうリスクもあるということを覚えておいてほしいです。
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