発達障害者に生きる資格はないのか【2】

ちょっと暗い内容です。
心が弱りやすい方はメンタルが安定している時に読んでください。

前回の記事はこちら

前回紹介したニュースのさらにもう少し前、10月頃に発達障害のバイク乗りの方がダムで自殺した事件がありました。

【悲報】バイク民(22歳)「医者に発達障害だと認定された。さようなら」→ フォロワーが駆け付けるもダムの前にバイクだけ残される… → その後遺体で見つかる・・・これが日本か・・・ 
名前:名無しさん 投稿日:2022年10月02日 日本の絶景を探し求めてバイク旅をする22歳です。18歳からバイク...

まとめブログみたいなものしか見つからなくて申し訳ないです。
ご本人のTwitterアカウントはまだ残っていると思うので、そちらを遡って読んでいただけると流れがわかりやすいかもしれません。

これはもう…なんとも言えない事件ですね…。
他人事とは思えないです。

障害者認定は良くも悪くも人生に与える影響が大きい

大人になってから「発達障害かも」と思っても、実際に病院で検査を受ける人ってそのうちの半分もいないんじゃないかなと思います。
だいたいの人はネットの発達障害チェックみたいなのやって、結果を見て満足しちゃって終わり。
自称アスペ、自称HSP、最近かなり多いです。

あと、発達障害だとわかると保険に入る時に不利になる可能性があるので、あえて検査・診断を受けないという人もいました。
医師から発達障害だと言われない限りは、社会では健常者と同等に扱われますからね。

そんな中で、ちゃんと医療機関で検査を受けて、診断結果まで出ている人っていうのは、かなり自らを深刻な状態だと認識しているわけです。
もうこれは自分だけでは手に負えない、専門家に頼るしかないという感じで半ば思い詰めている。

そして、発達障害検査でどんな結果が欲しいのかも人によって違います。

私は、「もうしんどいから早く障害者認定してくれよ。手帳と年金で食っていきたいんじゃ」ってスタンスでした。
実際発達障害だと診断されてほっとしたという人は多いです。

ただ、逆に「発達障害なんて勘違いだよね?自分は普通だと信じたい」という人もいると思います。

このバイク乗りの方がどういう気持ちで通院していたのかはわかりませんが、
もし後者に近い考えをしていたならば、発達障害と診断された時点で死を決意した可能性もあります。

発達障害者は自殺願望を抱きやすい

発達障害者は自殺リスクが高いと思います。
不安障害やうつ病などの二次障害が併発しやすいのもありますが、個人的には発達障害特有の白黒思考が1番の危険因子だと感じます。

白黒思考というのは、白か黒か、0か100かなどなんでもきちんと判別したがる、ある意味「究極の選択」をしがちということです。
そのため、生きている意味がない=死ぬしかないという結論にも至りやすいのではないかと思います。

おそらく定型発達の人であれば、

「生きる意味なんて今わからなくても良くない?急いで死ぬ必要もないし、そのうちやりたいことでも見つかるんじゃないの?」

と、楽観視できるのかもしれません。

しかし、発達障害者は今を生きるのに必死すぎて先のことまで考えている余裕なんてないですし、
今この瞬間生きているのが苦しいという事実が非常に大きいのです。

また、自殺を止めるストッパーがないというのも問題です。
ADHDだと衝動性が強いので、いざ死ぬぞと決めるとそのままの勢いで首を吊ったり電車に飛び込んでしまう。
ASDの場合には人間関係に問題を抱えているケースが多いので、相談相手や自殺を止めてくれるような家族・友人もおらず、誰にも気づかれないまま孤独死ということもありそうです。

発達障害は治らない

診断がおりているなら病院で治療できるんでしょ?と思うでしょうか。
残念ながら発達障害は一生治りません。

というか、障害によって個人の言動や性格が形成されているようなもので、これを人工的にどうにかするというのは倫理的にどうなのか。
ロボトミー手術などと同じような問題があるのではないかとも思うのです。

以前にADHDの知人が言っていました。

「薬を飲めば気分が沈むこともないし、集中力も増してミスも減るけど、それって本当の自分と言えるのかな?」

発達障害は治らないと言いつつ、ADHDだとこんな風に薬を飲めば一時的に症状を和らげることができます。

でも正直なところ、自分が自分じゃなくなるような薬なんか飲みたくないんですよ。
いくらこれで社会に適応できるようになると言われても、それは偽りの自分であって本当の自分ではないと感じてしまう…。

私はASDなので薬でどうにかということはないのですが、その代わりに幼い頃から過剰適応(社会的カモフラージュ行動)をして生きてきました。
そのため、言動を褒められたり親しい友人ができたりしても「この人達は本当の私を好いてくれているわけではないんだよな…」と虚しくなることも多かったです。

だったらカモフラージュ行動なんか辞めれば良いと思うかもしれませんが、
カモフラージュしていればもし他人に嫌われても「これは本当の自分が嫌われたわけではない、私の作った虚像が嫌われただけ」と心の傷を軽減することもできるので辞めるわけにはいきませんでした。

発達障害の本音として、ありのままの自分を社会に受け入れてもらいたいという願望があると思います。
でも、それは叶わないと薄々気付いているからこそ辛く、対処法がわからないまま悶々と過ごす日々に苦痛を感じてしまうわけです。
こういった感情から逃れるために死を選ぶ人がいるのも納得できます。

私もとりあえず今は生きていますが、精神的に弱ってくると希死念慮が強くなります。
これをどうにかする術はまだよくわかりません。

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